こんにちは~♪ライラック太郎です★今日はホテルライラックからほど近くにある串良平和公園近くにある串良海軍航空基地跡の地下壕をご紹介します♪この地下壕は第二次世界大戦時に、神風特攻隊への特攻の際への指令を無線で行う際の指令室で、沖縄戦やパールハーバーへの特攻の際に、ここから特攻を命令していたようです。
ちなみに今回、この地下壕を案内してくれる方は、フランス人のAdelineさん。ホテルライラックで1か月ほどお手伝いにきてくれました^^
地下壕の入口から入っていくところをパシャリ。トルネコの秘密のダンジョンのような雰囲気。Adlineさんは全然怖くない様子。早速、行き方から説明していきますね。
串良平和公園からの行き方
串良平和公園には2つの1キロメートル以上に及ぶ道路があります。公園が基地だった頃の滑走路になるようです。
イメージ的には、串良平和アリーナの裏の道を国道220号線に向かって、約100mほど、今では看板も立ってますのでわかりやすくなりましたね。
ちなみにホテルライラックからも自転車で10分ほどでいけます。(宿泊者は無料自転車レンタルOK)
地下壕の様子
非常に静かな地下壕で涼しい空気が流れています。今では第二次世界大戦で行われていた指令の様子などのデモンストレーション機器が置いてあります。昔は看板もなくてわからなかったのですが、だいぶ充実してきましたね。
神風、Kamikazeっていうと、外国人でも十分その言葉を知っています。中でもパールハーバーへの特攻は、鹿屋談合による独自の指令でそのような行動をしたようです。歴史上大日本帝国が責任者となっていますが、実態は軍主導の統制のきかない各軍が指揮していたのでしょうか。欧米人もその行動に関心を持っています。第二次世界大戦はここから始まったといっても過言ではないかもしれませんね。
書籍”実体験書”
十分その場でも刺激的な体験はできますが、やはり前もって過去の歴史を知っていた方が、現場に行ったときに考えさせられることが多いですよね。過去、実際に特攻隊として串良基地から飛び立った人の話がつづられた本がありますのでご一読をお勧めします。
文春文庫
生還した『特攻』隊員の告白語られざる特攻基地・串良
桑原敬一
- 定価:本体686円+税
- 発売日:2006年08月03日
http://amzn.asia/amiFr9p
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167717025
映画・ドラマ”永遠の0のロケ地”
ライラックの初代オーナー池辺チリ、三代目からするとおばあちゃんになりますが、この当時のお話しを聞かせて頂きました。岡崎梅一(おじいちゃん)は京都から鹿児島へ、当時の串良基地の建設に従事してそのままこの地に定住したことがきっかけでライラックホテルもできたんだなぁと思うと、感慨深いです。
昔はこの地域はこんなに平野が広がる地域ではなく、政府が山を切り開いて平地にしたそうです!
ライラックから徒歩5分ほどの中山池のあるほうに行くと、米軍の空襲を避けるための防空壕がたくさん残っています。小さいころはよく兄弟で散策にきました。
祖母の話からは第二次世界大戦中は、この地域も空襲が激しく、わずか3メートル先に爆弾が落ちたらしいのですが、地面が柔らかく不発だったことから生き延びることができたそうですよ。もしその爆弾が爆発していたらきっと母も、自分もいないのかなと思うと、生かされているという感覚になります。
第二次世界大戦中の記録のひとつとして、今でもこのような戦跡が見られる地域としてもっと注目してもらいたいところです。以上ライラック太郎の、串良基地地下豪のご案内でした^^